たしかなひかり

かすかな光

わたしはほんとうに 続き

夢におじいちゃんが出てきた。一昨年の5月に亡くなったおじいちゃん。今でも全然かなしいよ。言葉の使い方が間違っていたとしてもぜんぜん、悲しいんだよ。

おじいちゃんは名前を呼んでくれたの。わたしはそれが夢の中であることを半分理解していて、ああうれしいなって思った。

 

ゆっくりと起きて、バイトに向かった。ゆっくりしすぎて、すっぴんだった。今日もたいへんだったけど、やさしいおばさんと一緒だった。おじいちゃんほどじゃないけれど、やさしく名前を呼んでくれる。

バイト終わりに茶碗蒸しを食べさせてもらった。帰り道少しだけあたたかかったのは、茶碗蒸しだけのおかげだよ、絶対にね。

 

いろんなことが、いろんなわたしにまつわることが、わたしの目の前を通りすぎてゆく。眺めて、ときどき手を伸ばして、飲まれそうになったり怪我して、動けなくなったり。ぜんぜん眠れないまま耐えて、ときどき自分が不安になる。思えば心なんて一生不安さ、それでも。

 

すこしずつ、わたしは素敵だっていうのが、確固たるものになっていく。素敵っていう言葉をよく使うようになったのはたぶん、大森元貴の影響。彼の音楽もまた最近少しずつ聴けるようになってきた。忘れかけたものを取り戻せるきっかけを探しながら、月1000円のお小遣いで買ったCDを取り出す。

 

たくさん考えながら生きてる。わたしにはかんがえがある。表面張力なわたしは、一滴を待ってる。今日はパウンドケーキを焼いた。生活は続く。苦しくてたまんないけど、やめたくはないよ。いまはそう思える。今はやめないことしかできないけど、それでじゅうぶんだ、きっと。